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スーパースター

アプリや電子書籍、漫画、音楽のことなどについて記事を書いています。

誰にだって「若い時代」というものがあって、今があるんだなと。

雑記 雑記-どうでもいい話

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こんにちは。来月で23歳になります。まだ「若い」って言っていいのかなって思ってますが学生さんとかから見たら年配ではないにしろ若くはねーんだろうなって思うと死にたい気持ちに駆られるのですがそれは置いといて。

 

私は年上の知り合い(素敵なおじ様たち)(この言葉だけでいやらしい関係を想像した人は心が汚れています)が多いのですが、みなさん素敵な人たちばかりです。素直に尊敬できます。だからなんというか、自分が若いからこそ、年長者を敬った方がいいんじゃないかと私は思うのです。

 

別に私は、年食っただけの人間が偉いとかそんなことは思っていませんし、年上だからって無条件で全員敬うべきとも思いません。

受付の仕事をしている時、理不尽なクレームつけてくるのって大体50歳以上の人たちなんです。心の中で「クソジジイ◯ね」と思うことによりストレスを軽減しているので、まぁそれはもう仕方ないことだと割り切ってはいますが。

でも、笑顔で「ありがとう」とか言ってくれることが多いのも50歳以上くらいの人たちだったりします。癒されます。ありがとうございます。クソジジイクソババアにクソみたいなクレームつけられてもそう言ってくれる人がいるだけで、ささくれ立った心が和らぎます。

つまり何が言いたいかというと、年長者と言っても様々で尊敬できる人とできない人がいます。当たり前かもしれませんが、まず「年長者」ってひとくくりにするのは良くないことですよね。月並みな言葉になりますが「人それぞれ」なんですから。 

誰にだって若い時代があった

私もそうなんですが、若い人間っていうのは、年長者の方々に「若い時代があった」ということが想像しづらいんです。

だって自分が子供のときに、お父さんお母さんに子供時代があったなんてまるで想像できませんでしたし、それと一緒なのかなと思います。

 

ところで私が超大好きなドイツの児童文学『飛ぶ教室』という作品にこのような文章が出てきます。

どうして大人は自分が若いときのことをすっかり忘れてしまうのだろうか。子どもだって悲しくて不幸になることがあるのに、大人になると、さっぱり忘れてしまっている。(この機会に心からお願いしたい。子ども時代をけっして忘れないでもらいたい。どうか約束してもらいたい)

『飛ぶ教室』エーリッヒ・ケストナー 丘沢静也訳

この作品を読んで気づかされたのは「自分の子ども時代をすっかり忘れてしまっていた」ということです。

自分の子ども時代すら忘れてしまっているのに、他人の若い時代なんざ想像できなくて当然なんです。

だからいつの時代も「近頃の若い者は云々」みたいなこと言う人がいるんだろうなーと思います。そんなことを言っている人だって若い頃は、バカなことやったり挫折したり恥ずかしい思いをしていたはずなんですよね。でもそれを忘れてしまっているから(むしろ思い出したくないから?)「近頃の云々」なんて言っちゃうのかなって。

 

ここからは私のただの想像ですが、逆に若者を応援してくれる年長者の方って、自分の若かった時代を忘れていないんだろうなと思います。そういう人って私の目から見て、すごく「素敵な大人」なんです。自分もこうありたいって思えるというか。 

だから大事なのは自分が「こうありたい」って思えるような年長者の人が身近にいるかどうかってことだと思うんです。

若いっていいことです。でもいずれその若さは「失われるもの」です。
若さが失われてしまったその時に、自分が「こうありたい」と思った大人にどれだけ近づけているかがすごく大切なんじゃないかと思うのです。

 

逆に若い人の立場からいうと、どうしても年長者を軽んじたりする風潮ってありますよね。私も上でクソジジイとか書いちゃってるんでそういう気があるのは否定しません。

それに、今は年長者である人も若い頃は年長者を軽んじていたかもしれませんし。

ただそんな中でも、尊敬できる大人を一人でも見つけておくと、自分の中での目標になるんじゃないかなっとふと思ったので、こうして記事を書かせて頂いたわけです。

 

つらつら書かせてもらいましたが、大人って本当は素敵なんだよってことと「飛ぶ教室」の魅力が伝わっていれば幸いです。

おわります。

 

※『飛ぶ教室』に関しては別記事で語っていますので詳しくはそちらを読んでみてください!

since 2015.12.06