エーリッヒ・ケストナー『飛ぶ教室』について簡単に考察
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エーリッヒ・ケストナーが書いた『飛ぶ教室』という小説をご存知ですか?
『飛ぶ教室』はエーリッヒ・ケストナーが1932年に執筆し、1933年に出版されたドイツの児童文学作品です。
クリスマス時期の学校を舞台に、5人の少年たちが知恵と勇気によって様々な事件を解決していくという物語です。
本当に素晴らしい作品なので勝手に語っていきます!どうぞ!!
あらすじ
孤独なジョニー、弱虫のウーリ、読書家ゼバスティアン、正義感の強いマルティン、いつも腹をすかせている腕っぷしの強いマティアス。同じ寄宿舎で生活する5人の少年が友情を育み、信頼を学び、大人たちに見守られながら成長していく感動的な物語。ドイツの国民作家ケストナーの代表作。(『飛ぶ教室』ケストナー 丘沢静也訳 光文社古典新訳文庫より)
舞台はギムナジウムという寄宿舎。季節はクリスマス。5人の少年たちの周りでは大小様々な事件が起こる。同じ学校の仲間が他校の生徒に攫われたり、雪合戦で闘ったり、タイマンで決闘したり、男の子が好きな要素が満載な作品。当時ドイツで男の子からの人気を博していたというのも頷ける。
主要キャラクターは以下の通り。
・ジョニー…幼い頃両親に捨てられた過去を持っている。将来の夢は作家。
・ウーリ…気が小さく弱虫だが、それを自覚していて克服しようとする。
・ゼバスティアン…皮肉屋で頭が切れるが、素の自分をなかなか見せようとしない。
・マルティン…成績優秀で正義感が強い。将来の夢は画家。家が貧乏。
・マティアス…勉強はできないが腕っぷしは強く、将来の夢はボクサー。
・正義さん…ギムナジウムの舎監。少年たちから尊敬されている。
・禁煙さん…市民菜園に置かれているお払い箱になった禁煙車両に住んでいる。ヘビースモカー。少年たちに慕われている。
この5人の少年と2人の大人、彼らが主となって物語を紡ぐ。
あらすじばかり語ってもあれなんで、気になったらとりあえず読んでみてね。
まえがきについて
『飛ぶ教室』の大きな特徴の一つとして、物語が始まる前に長めの「まえがき」がつけられていることが挙げられる。まえがきではケストナーに似た人物が、物語の作者という位置付けで登場する。
このまえがきが『飛ぶ教室』を素晴らしい作品にしている一つの要素だとも言える。まえがきではかなりストレートにケストナーの考え方というものが書かれている。
仕方なく子どもの本を手にとり、読みはじめた。著者から贈られたものだが、すぐに放りだした。すっかり腹がたったのだ。なぜか。著者が自分の読者である子どもたちに、ほんとうに信じこませようとしていたからである。子どもはいつも陽気で、どうしていいかわからないくらい幸せなのだ、と。このいかさま作家によれば、子ども時代というものは極上の生地で焼いたケーキということになってしまう。(18)
まえがきその2から引用。ケストナーは子供を軽んじたり侮ったりしてはいけないと強く考えていた。その考えがまえがきではストレートに書かれている。
確かに、誰でも子供時代を経て大人になるのに、大人になったらそんなこと忘れてしまうような気がする。大人になって働くようになったら「子供のころはよかったな、悩みなんかなくて。子供が羨ましいな」みたいに考えてしまう。
でもそれは間違いで、子供の頃だって大人になった今と同じように、悩んでいることがあったはず。でもそのことを覚えていられる大人は少ないように思う。
ケストナーはまえがきで子供時代の大切さを読者に訴えたかったのかもしれない。子供時代に流した涙が、大人の涙より軽いなんてことは絶対にない。ケストナーの主張はストレートなぶん、心に響いてくるものがある。
まえがきに書かれているケストナーのもう一つの主張、それは「賢さのない勇気は、乱暴にすぎない。勇気のない賢さは、冗談にすぎない(23)」ということである。ケストナーは「勇気」と「知恵」それが大切なことであると考えているのだ。
『飛ぶ教室』に登場する5人の少年たちはみんな、勇気と知恵を持って事件を解決していく。でも、いつだって勇敢で賢くいられるわけではない。どちらか一方を見失ってしまう時だってある。それでも知恵と勇気を持つことが大切だということに気づいていれば、きっといつだって取り戻せるはずだ。
余談だけどあの有名なゲーム「mother2」でも「知恵と勇気」が大切的なテーマが垣間見える。から、糸井重里さんってケストナー好きなのかな?と思って調べてみたりしたけど全然ヒットしなかったからきっと気のせい。
正義さんと禁煙さん
『飛ぶ教室』は少年たちだけでなく、魅力的な大人も登場する。この作品は嫌な大人っていうのが一人も出てこない。みんな理性的で、子供を愛している、素晴らしい大人たちばかり。見習いたいものだ。
中でも「正義さん」と「禁煙さん」は『飛ぶ教室』における大人たちの代表ともいえる。二人は少年たちに慕われており、かつて親友同士だった。一時は離れ離れになってしまうが、少年たちに導かれ、再会を果たすことができる。
物語の後半にこのような話がある。
クリスマス時期、冬休みに入りギムナジウムの生徒は帰省するための準備を始める。成績優秀のマルティンもその一人だったが、母親からの手紙で帰省するための交通費を渡してあげることができない、と告げられる。家が貧乏だから、と自分を納得させようとするマルティンだが、クリスマスに両親と過ごせないということが、マルティンをどうしようもない悲しみに突き落とす。
ずっと強がって何も話さなかったマルティンだったが、とうとう正義さんにだけは事情を話した。すると正義さんはマルティンに二十マルクを手渡して「クリスマスイブに旅費をプレゼントするんだよ。返してもらおうなんて思っちゃいない。そのほうが、うんとすてきじゃないか(191)」と言った。そして更に「きみたちは私に禁煙さんをプレゼントしてくれたんだよ(192)」と言う。マルティンは正義さんに感謝の言葉を言って、両親の元へと帰っていった。
正義さんがかっこよすぎる。こんなに素晴らしい先生がいるでしょうか。
何でこの話を引用したかというと、ケストナーの物語の特徴として「子供が理性的に振る舞い、大人をリードする」というのがある。少年の導きによって再会を果たすことができた正義さんと禁煙さんのエピソードがこれに当てはまる。
でも『飛ぶ教室』は子供が大人を助けるだけじゃない。大人が子供を助けるエピソードがある。それが素晴らしい。その素晴らしさは「子供が大人を助ける」というエピソードがあってこそのもの。
正義さんはいつだって公正に物事を判断し生徒たちを守っているし、禁煙さんは少年たちに助けを求められれば的確なアドバイスを与える。大人と子供が助け合って生きている。それを自然に描いているのがこの作品の魅力の一つとも言える。
だからこそ、『飛ぶ教室』は子供だけでなく大人にも読んでほしい作品なのだ。
まとめ
『飛ぶ教室』には子供たちへの期待や希望が多く込められているように見て取れる。個性豊かな少年たちは、それぞれ将来の夢や特技を持っていて、未来への希望を抱いている。とは言っても、ケストナーは子供時代が「極上の生地で焼いたケーキ(18)」のようではないと強く考え、子供たちの悩みや苦しみも作品の中に描き出した。世の中には楽しいことだけでなく、辛いことや苦しいことも同じだけあるのだということを、子供たちに包み隠さずに伝えようとした。ケストナーが子供たちに対して、常に誠実であろうとしていたということだろう。
また『飛ぶ教室』には、子供たちに対してだけでなく、大人たちに向けたメッセージも込められている。『飛ぶ教室』が発表された一九三三年は、ナチスが政権をとった年であり、ケストナーが思うところの「正しくない大人」が権力を握っていた時代であった。そのような時代に書かれた『飛ぶ教室』には「正しくない大人」は一人も出てこない。一人一人違いはあるものの、公正で、立派で、子供たちのことを心から愛している大人たちばかりである。「正しくない大人」が大勢いる世の中だからこそ、ケストナーは彼が思う「正しい大人」を物語の中に描いたのだろう。
最後に
いろいろ書きましたが、要は『飛ぶ教室』めっちゃいいよ、みんなにも読んで欲しいよってことです。本当に素晴らしい作品です。また書きたいこと出てきたら追記する予定です。ケストナーの他作品だったら『エーミールと探偵たち』というのも面白いです。気になったら調べてみてくださーい!!
引用はこちらの書籍からさせて頂きました。